「望むような状態でない時」は視点を変えてみる
「望むような状態でない」時は視点を変えてみる、
というテーマで話を進めていきます。
望むような状態
ここでいう「望むような状態とは」、
- アイドルのAちゃんのようになりたい
- クラスのBさんのようになりたい
というような、
自分自身が「なりたい」と思うような状態です。
他にも、
- 希望校への入学(中学、高校、大学など)
- アナウンサーになる
- プロ野球選手になる
など、「なりたいこと」といっても
人によって、ほんとうに多くの望むがあると思います。
また、目標でいえば、
- 長期目標
- 中期目標
- 短期目標
なども含まれます。
他人主体の考え方に陥っていませんか?
それぞれの人が目標や夢に向かって努力します。
しかし、努力の結果、望みを叶える人もいれば、
望み叶わない人もいることでしょう。
しかし、思うように進まないのも人生ですね。
特に、プロ野球選手など難易度の高い目標を
持っている人はなおさらです。
プロ選手に関しては、ピラミッドの頂点の
ほんの一握りの人しかスターにはなれない
現実があります。
才能のある人が集まり、その中でも、
ほんの一部の人だけが1軍選手となり、
更にその中の一部がスターとなる、
超狭き門です。
努力は素晴らしいのですが、
努力だけではどうしようもないことがあります。
ここで、気をつけなければならないことがあります。
それは、「他人主体の考え方になってしまうこと」です。
どういう意味かというと、
「自分が」という自分主体ではなく、
「友達のAさんが」というように、
他人主体の考えになってしまうことです。
他人のことは良く見えるもの
他人のことは良く見えるものです。
例えば、
友達のAさんは勉強ができ、性格も良いので
多くの人から「勉強も出来ていい子だね」
といわれる典型的な「良い子」だったとします。
しかし、
これはあくまで、本人以外が感じて、
抱いている印象です。
Aさんからすると、毎日毎日、友達と遊ぶことも
クラブ活動することも出来ず、塾通い。
それも、自分の意思ではないとしたら・・・
Aさんからすると、「良い子」だと思われる
ことすらも重荷かもしれませんね。
Aさんの本当の姿を知った時、
あなたは、本当に「Aさんのようになりたいのか」
ということです。
他人をうらやむ「他人主体」の行動が癖になると、
「自分」を主体にした行動がとれなくなります。
他人主体の考えでば、
たとえ良い成績が取れたとしても喜べなくなり、
いつまでたっても苦しさしか感じなくなります。
それでは、自分が可愛そうだと思いませんか?
童話というのは、道徳を教えたり、
「教訓」を教えるという役割がありますね。
「ウサギ」と「カメ」の童話を考える
この童話の中で「ウサギとカメ」の話があります。
この話に関して、面白い記述を以前目にしましたので
ご紹介させて頂きます。
この話では、「ウサギ」が自分の力を過信して
途中で油断したことで「カメ」に負けるという話です。
しかし、視点を「カメ」に向けてみればどうでしょう。
「カメ」と「ウサギ」は全く別の生き物で、
得意とする分野も全く違います。
そもそも、「カメ」と「ウサギ」が陸上で
ガチンコ勝負するなんて不自然ですね。
「カメ」はなぜ「ウサギ」と勝負したのでしょう?
「カメ」は「ウサギ」に憧れていたのでしょうか?
「カメ」はいくら頑張っても「ウサギ」にはなれません。
陸上を速く進むこともできません。
努力しても埋められるものではないですね。
逆に「カメ」と「ウサギ」が水中で競争をすれば
「カメ」が勝つことでしょう。
「カメ」には水中を早く泳ぐ力があるのです。
無理して「カメ」が「ウサギ」になる必要は無い
ということですね。
この話はあえて童話の内容を例題にしているため、
「何をケチつけてるんだ!」と思うかもしれません。
しかし、
伝えたいことは分かって頂けると思うのです。
「自分の人生なので、他人を生きるのではなく、
自分を生きましょう」ということです。
自分にも「良い部分は必ずあります」。
ビジネスを行う場合も一緒です。
他人のビジネスを参考にすることはあっても、
他人のビジネスを行うわけではありません。
「他人」ではなく、「自分」のビジネスを
自分の思うように取り組みましょう。
その良い部分を忘れないで下さいね。